ポール・ブルダリ氏の挨拶

(平成24年4月17日 木)


皆様、私がポール・ブルダリです。

私が公の場でスピーチすることは、このところ極めて稀な事です。従って、今回のスピーチは勢い短くなりますからご安心下さい。私はどちらかと言うと、先に行動を起こしてから、後で発言するたちです。この辺は家内の喜代子から、「いつも発言する前に行動しなさい」としきりに言われてきたことによるかも知れません。ここで、本財団の発足に当たって主要な役割を果たして下さった3名の方々に御礼申し上げたいと思います。

これらの方々のなかには喜代子が生前お世話になった方々もあり、当財団を設立するアイディアを提供し、実行して下さった方々もおられます。先ず、奥仲哲弥医師です。この方は数年に亘って、山王病院で毎月曜日朝、そのご能力と素晴らしい人間性をもって、家内を治療して下さいました。有難う御座いました。次に若林正憲氏です。喜代子がお世話になった銀行の方です。心の広い方で、聡明で且つ洞察力の優れた方です。それ故に大変お世話になりました。最後に角田昌彦氏です。 本財団の設立について大変にお世話になりました。弁護士として有能な方であり、フランス語がとても堪能な方です。以来友人関係を築き、今日財団の発足に漕ぎつけたものです。

喜代子と私がめぐりあったのはパリです。ほぼ偶然のめぐり合わせで、1973年春のとある夕刻にパリのカルティエラタンにあった共通の友達の家を訪ねた時のことです。喜代子は、ソルボンヌ大学の学生でフランス文学課程を履修中で、私は時にフランス国から遠隔地にある工場を立ち上げるような仕事を担当させられていた若いエンジニアでした。私達は6ヶ月後に結婚し、ヴェルサイユ宮殿から数キロ離れた小さな町で暮らすことになりました。家内が2007年3月5日に肺癌で死亡するまで、以後33年間に亘って添い遂げました。 喜代子はヘビースモーカーでした。毎日煙草を2箱も吸っていたと思います。一般的に言って、特に若い方を含め日本人の方は煙草をよく飲まれると思います。よって、当財団は以下の目的を掲げるべきだと思います。先ず肺癌の治療で顕著な貢献をした日本人医学者に賞金を授与すること。次に特に若者における煙草による健康被害防止に対する啓蒙を図ること。最後に、喜代子がその友達の記憶の中に生き続けるようにすることです。

私はこの場にご出席戴いた医学者、特に煙草を原因とする肺癌治療の専門医の方々に、当財団が毎年寄附するかなりの金員を有効に使って戴くことをお願い致したい。人々の生命を守ることが、私の妻の思い出の下に私がなしうる最後のプレゼントです。 ご静聴有難うございました。